多読の危険性

投稿:2025年5月26日塾長のブログ

英語学習において「多読」という言葉をよく耳にします。
私は多読自体を否定するつもりはありません。多くの英文に触れることはいいことだと思います。

ただし、効果を得るためには条件があります。

その条件とは、ある程度の語彙・文法が身についてから行うということです。共通テストの英文がスムーズに理解できないレベルでの多読は、ほとんど効果がないと思っています。
それどころかきちんと筋道立てて英語を学習することが億劫になってしまうことにもなりかねません。
自分の英語レベルに合った本を選べばいいという意見もありますが、高校生が小学生向けの内容を読んで面白いと思えるのでしょうか?

そして私には、「多読」という言葉がどうしても気になるのです。

「読書」といえばいい所を、なぜ「多読」と謳うのでしょうか?

この言葉には、量をこなすためにはわからない英文があっても読み飛ばすという意味合いが含まれています。
きちんと読むことから逃げたい生徒にとっては何も考えずに済むと思い、魅力的なのかもしれません。
ただ実際には、英語が苦手な生徒の行っている多読というのは、何もわからずに自棄(やけ)になって英文を目で追っているだけだったりします。

「細部は気にせず多くの本を楽しみなさい。」で済むなら、講師としてもこれほど楽なことはありません。
他の言語に置き換えて考えてみてください。ある言語で入門レベルの人がその言語で書かれた書物をひたすら読み続ければ読めるようになるのでしょうか?

そして、そもそも日本語での読書が楽しいと思えない生徒が多い中、洋書だと楽しく読み続けられるとは思えません。

リスニングにおける聞き流し(多聴)も同じことです。バックミュージックのようなものではおそらくリスニング力は強化されないでしょう。

ラクすることしか考えない人は成長しません。多読の前に「読み方」を会得しましょう。

やるならきちんと、トコトンやりましょう!